『株券●【超レア】八幡製鉄・富士製鉄 各壱株券』はセカイモンで8593f492から出品され、652の入札を集めて12月24日 16時 52分に、643680円で落札されました。即決価格は643680円でした。決済方法はに対応。千葉県からの発送料は落札者が負担しました。PRオプションはストア、取りナビ(ベータ版)を利用したオークション、即買でした。
超入手困難 世界初【戦前 日本飛行機製作組合(中島飛行機の前身)證券】1918年(大正7年)7月1日 百円五口 設立当初の出資金としての證券
¥ 440000
超入手困難 極稀珍品【日韓条約・協定集 付属文書全文集録】1965年(昭和40年)日本朝鮮研究所「朝鮮研究」別冊 日韓基本条約締結後に発行
¥ 550000
幻!貴重!1962年ヤマハ発動機発行非売品豪華大型アルバム
¥ 550000
「国語読本」の追加画像。
¥ 440000
孤本(天下一本)明版 白岳遊草全一冊 萬暦序・刊 徐胤徐胤徐胤翹三氏合著古籍唐本和本古文書書状消息古筆古写経拓本碑帖中国詩明刊本古書
¥ 386100
希少 9.5mmフィルム 戦前 満州 撫順炭坑 奉天北陵 昭和初期 学術資料 歴史資料 PATHE BABY
¥ 491400
1742年 蘭学 志筑忠雄 暦象新書 底本 ジョン・ケイル『自然学入門』
¥ 391000
ラベラー 大阪シーリング印刷株式会社製 オートラベラー LA9500シリーズ
¥ 459200
戦前 軍用犬 写真アルバム【訓練・供出関連 123枚】
¥ 308100
Yusuke Hanai Fwenclub Throw Stone Wood Panel ED125 花井祐介 ウッドパネル
¥ 421200
1666年 蘭学 山脇東洋 人体解剖 蔵志 ヨハン・フェスリンク『解剖学体系』
¥ 292500
1696年 蘭学 宇田川玄真 医範提綱 底本 ステフェン・ブランカールト『新訂解剖学』
¥ 412500
世界初カクテル本 ジェリー・トーマス『ザ・バーテンダーズ・ガイド』
¥ 308000
大相撲力士 常陸嶽理市氏 関連 古写真帖等 一括◆戦前 満州 朝鮮 アメリカ 双葉山 出羽海部屋 日本相撲協会理事 貴重資料
¥ 308000
出口林次郎氏 旧蔵 古写真・資料等 一括◆東京オリンピック招致 ベルリン ロス五輪 スポーツ 体育 スキー 縄跳 歩行 ワンダーフォーゲル他
¥ 322000
古建築図面青写真古文書●昭和30年頃 横浜三渓園にある重要文化財 臨春閣 42枚 230605
¥ 299200
昭和レトロ マッチのラベル 582枚
¥ 320100
1675年 仏語初版 楢林鎮山 紅夷外科宗伝 底本 ヨハネス・スクルテタス『外科の武器庫』
¥ 308000
652 入札履歴
終了
オークファンの無料会員に登録すれば
一度検索した商品をお気に入り登録可能。
マイブックマーク機能で
いつでもすぐに登録した商品を
見返すことができます。
既に会員の方はこちらからログインをお願いいたします
「同じ商品を出品する」機能のご利用には
オークファン会員登録が必要です。
価格を表示するには、
オークファンプレミアム(月額8,800円/税込)の登録が必要です。
まずはお試し!!初月無料で過去の落札相場を確認!
オークションで稼ぐための人気機能!
「期間おまとめ検索」を使えば、複数月をまたいだ指定期間の相場検索が可能です。レアな商品の相場や過去の出品数をまとめて確認できます。
さらに、オークファンプレミアムに登録すると最大過去10年分の相場データが月1,200回まで閲覧可能です。
価格を表示するには、
オークファンプレミアム(月額2,200円/税込)の登録が必要です。
まずはお試し!!初月無料で過去の落札相場を確認!
艱難辛苦を乗り越えて・・・
今ここに現存する株券 2枚セットの価格です
有価証券としての価値はありません。
八幡製鉄(やはたせいてつ)
第 二次世界大戦直後、占領政策に基づく過度経済力集中排除法の適用を受けた日本製鉄が4社(八幡製鉄、富士製鉄、日鉄汽船、播磨(はりま)耐火煉瓦(れん が))に分割された結果、1950年(昭和25)4月、八幡製鉄所1か所をもって設立された。同年10月、第一次設備合理化計画を発表、圧延部門を中心に 近代化を進め、アメリカのアームコ社から技術を導入してストリップ工場を整備するとともに、第二製鉄所として1955年、山口県光(ひかり)市に線材、特 殊鋼の光製鉄所を新設した。ついで1956年、第二次設備合理化計画を決定し、福岡県戸畑(とばた)(現北九州市)に新しい銑鋼一貫製鉄所を建設、同年、 化学部門を分離して八幡化学工業(現新日鉄化学)を設立。また、スイスのアルピネ社の特許を日本鋼管を通じて導入して1957年に八幡(現北九州市)に日 本初の純酸素上吹転炉を稼働させた。さらに日本経済の高度成長のもとで増大する鉄鋼需要にこたえるため1959年12月、第三次設備合理化計画を決定し、 1961年に大阪の堺(さかい)製鉄所、1965年に千葉の君津製鉄所と、大型の臨海型銑鋼一貫製鉄所を建設した。
この間、一貫して日本 における粗鋼シェアの1位を維持した同社は、1958年の「公開販売制度」の発足やその後再三実施された設備投資の自主調整においても指導的役割を果たす とともに、オーストラリアをはじめとする鉄鉱石の確保、アメリカを中心とした鉄鋼輸出、ブラジルのウジミナス製鉄所などへの海外技術協力においても重要な 役割を果たした。しかし昭和40年代に入り国際競争力の強化を迫られた同社は、1970年、富士製鉄と合併、新日本製鉄に生まれ変わった。合併直前の八幡 製鉄は、資本金1273、4製鉄所、粗鋼生産年1626万トン(シェア18.7%)であった。
[執筆者:中村清司]
1968年のニュース
八幡製鉄・富士製鉄、合併へ動く
八 幡製鉄(資本金1273)の稲山嘉寛社長は、17日午前9時45分から東京・八重洲口の本社で記者会見を行い、八幡製鉄と富士製鉄(永野重 雄社長、資本金1020)の合併について「両社が合併すれば、国際競争力強化、設備投資の合理化など多くの点で利益が期待できるので、できるだけ早い 時期に合併できるよう努力する。世論がこれを受け入れてくれるかどうかを見きわめた上で、年内にも関係方面に申請したい」と述べた。富士製鉄側も基本的に は賛成している。
戦後最大の合併が急速に具体化に動き出したわけで、これにより鉄鋼業界だけでなく、わが国の産業界の再編成機運を大きく 盛り上げることいなった。また両社が合併すれば、その粗鋼生産量は合計2200万トンを超え、米国のUS・スチールに次ぐ世界第2位の鉄鋼会社が生まれる ことになり、国際的にも大きな話題を呼ぶことになろう。
ただ、両社が一つになるとわが国の鉄鋼業界での市場占有率は粗鋼生産で約35%にも達することから、「独占価格」が形成されると心配する需要家もあり、公正取引委員会がこれをどう判断するか注目されている。
(1968年04月17日)
※68年4月17日の朝日新聞夕刊の記事をもとにしました。八幡製鉄と富士製鉄はその後、1970年に合併を果たし、新日本製鉄が誕生しました。